PICK UP!イーストウッドとマカロニの原点『荒野の用心棒』【シネマ活動大射撃特別編】

2016年07月01日

エンタメ 企画 映画

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混沌と汚名から生まれた至高のバイオレンスエンターテイメント

今年4月に朝日新聞出版より分冊百科「マカロニウエスタン傑作映画DVDコレクション」が創刊、現在第6弾までが発売されファンを狂喜させています。本日はそんなマカロニウエスタンの原点となる作品と、その作品でスターへの階段を上り、今やアメリカを代表する俳優/監督となったクリント・イーストウッドの出会いに迫る回ですが、まずは「マカロニウエスタンって何ぞや?」という方に簡単にご説明を。

【マカロニウエスタンとは?】
1960〜1970年にかけて大量に制作されたイタリア製西部劇。ユーゴスラビアやスペインの広大な荒野をロケ地とし、本家西部劇が叙情や勧善懲悪を掲げるのに対して、ニヒルで暴力的なアンチヒーロー的世界観を前面に押し出した作風を持つ。アメリカの批評家からは「偽物西部劇」「暴力的で野蛮、汚らしい」など非難されるもクリント・イーストウッドをはじめ、フランコ・ネロ、ジュリアーノ・ジェンマなどのスターを輩出、また都落ちしたアメリカの西部劇俳優のハローワーク的役目を果たすなどの功績を上げる。しかし殿堂入りする一部の傑作を覗き芳しくない出来の作品も多く、その粗雑乱造ぶりが祟り本家西部劇の凋落とシンクロするように映画史から消えていった。

と、いう訳なんですが、やはりマカロニウエスタンの原点(ただし第1号作品ではない)は、1964年に製作されたセルジオ・レオーネ監督、クリント・イーストウッド主演の

『荒野の用心棒』(原題:1握りのドルのために)

でしょう。

アメリカの人気テレビ映画『ローハイド』の出演契約上、契約期間においては本国の映画に出演が出来ず、番組の人気にも翳りが見え始め焦っていた当時30代半ばのイーストウッド。そんな彼に、先にイタリアへ渡り『赤い砂の決闘』などのマカロニに出演してそこそこの暮らしをしていた俳優リチャード・ハリソンが、主役探しが難航していた『荒野の用心棒』への出演を勧めます。

「イタリア製の西部劇なんて珍妙で面白いけど、どうせすぐ忘れられるだろう。まあ、海外のB級映画だし気楽にバイト感覚で出来るべ」

と、夏休み限定のリゾートバイトに行くノリでイタリアへの出稼ぎを決意するイーストウッド。

その決断が彼の運命を全速力で好転させることとなるとは夢にも思わずに・・・。

clint-eastwood-394256_1280「ローハイド」時代の若きイーストウッド

 

撮影現場はカオスの極み「ちょっと勘弁してくださいよぉ〜!!」

イタリアへ渡ったイーストウッドを待っていたのは、本国で史劇を1本撮った程度のセルジオ・レオーネ監督。しかも彼は英語がほとんど話せず、イーストウッドもイタリア語が話せないといういきなりのディスコミュニケーション発生!!しかもスタッフも多国籍軍のため英語を話すのは自分だけというぼっち状態のイーさん・・・「泣けるぜ」。その上、予算も技術もあまりなくあらゆる意味でカオスの現場であったそうです。

smg4427-11イーストウッド扮する「名の無い男」が使用するコルトSAA 「フロンティア」モデル(画像はCMC製モデルガン)。
劇中ではガラガラヘビのレリーフを施した木製グリップを付けたものを使用していますが、テレビ映画『ローハイド』で使用していたものの流用です。

 

そして、もっと深刻な問題はシナリオが黒澤明監督の傑作時代劇『用心棒』の模倣だったということです。風来坊が2組の勢力が争い合う寂れた町にぶらりと現れ、知恵と腕で両勢力を共倒れに追い込むというストーリーを、刀を銃に変え完コピ。ハッキリいって盗作でした。(まあ『用心棒』のプロット自体、ダシール・ハメットの小説「血の収穫」にそっく・・・おや、誰か来たようだ)

しかし、憧れの西部劇を大好きな『用心棒』そっくりに作れることが嬉しくて仕方ないレオーネ監督の無邪気な姿に誰もツッコむ事が出来ず「あ〜あ、知らねーぞ・・・まあ作っちゃえばいいか。そのうち忘れられる映画だろうし」と、呑気にかまえていたのです。そして、ようやくナントカ撮影を終えたイーさんは「もう二度と来ません、さようなら」と、荷物をまとめてアメリカへ帰国するのでした。

 

一夜明けたら「え?」イタリアの大人気スター

そんこんなで再び「ローハイド」の現場に戻ったイーさんですが、番組の人気低迷は深刻化。後半には主演で兄貴分のエリック・フレミングが降ろされ、イーさんが主役格になるも番組はあえなく終了。しかしその頃、イタリアでは奇跡が起こっていたのです。

『荒野の用心棒』がイタリア本国で空前の大ヒットを遂げ、不況にあえいでいたイタリア映画の屋台骨を立て直すと同時に「名も無き青い目のガンマン」イーストウッドという大スターを生んでいたのでした。

「え?まじ?」

当のイーさんは寝耳にウォーター。自分の期間限定バイトがとんでもない現象を起こしていることを新聞で知るのです。そうなると、柳の下のドジョウを摑みにかかるのが世の常。レオーネ監督以下イタリアの制作陣が「イーさん、かんばーっく!!」と、ラブコールを送ります。『ローハイド』も終了、兄貴分のフレミングは映画ロケ中に事故で他界、本国でのオファーもパッとしない・・・もはやラブコールに応えない理由などないイーさんは「もう二度と来ない」と誓ったイタリアの地に再び降り立つのでした。

そして次の作品となるのは、前作にくらべ予算も技術も格段に上がり、もう1人のアメリカ俳優、リー・ヴァン・クリーフを招き、後に『名も無き男3部作』の最高傑作と呼ばれるようになる『夕陽のガンマン』だったのです。La_Muerte_Tenía_un_Precio

『荒野の用心棒』盗作問題

『荒野の用心棒は』アメリカを除く多くの国で大ヒットしましたが、そのお陰で盗作問題も大きく発展してしまいます。当然、黒澤明の許可を一切取らずに勝手にリメイクしちゃった訳ですから『用心棒』の製作会社が著作権侵害でセルジオ・レオーネら関係者を訴えます。オマージュを余裕でフライングした丸パクリな内容に加え、レオーネが「ボブ・ロバートソン」なるアメリカ名(要は偽名)を使った確信犯的な点など言い訳のしようもありません。

「やったんだな」

「すません・・・」

と、レオーネ側が素直に盗作を認め(無邪気すぎただけで素直な人なんです)敗訴。黒澤明監督ら関係者に謝罪し、アジアにおける配給権と興行収入の15%を支払うこととなったのです。皮肉にも、日本ではこの盗作問題が逆に効果的な宣伝となり1965年のクリスマスに日比谷スカラ座などでロードショーされ大ヒットとなりました。諸々の問題が絡み、日本でのソフト化が長らく実現されなかった本作も、今や豪華特典付きのブルーレイ完全版コレクターBOX、先の分冊百科などで堪能出来るようになったのは感慨深いですね。

確かに展開やカット割り、台詞など『用心棒』そのままではありますが、ユーモアが失われた代わりにドライでスピーディな展開が魅力的で、なおかつ本家を上回る(と、筆者は思っています)クライマックスの鮮やかさで『荒野の用心棒』は傑作となり得たのです。

本作がただの出来の悪い盗作B級映画であれば映画史に残る筈はありませんし、レオーネ、イーストウッドという偉大なる映画人を生み出すこともなかったでしょう。本作は汚名を背負って生まれたものの、その本質は紛れもなく「気高い」ものだったのです。

 

 

 

 

 

 

投稿者:ToyGun.jp編集部